1959年 |
インドネシア協和国独立指導者であるスカルノ大統領と訪日中に出会い、同年11月にジャカルタで結婚。 |
1967年 |
独立後22年目、スカルノ大統領が終身大統領を解かれる |
1970年〜 |
スカルノ大統領逝去。その後パリに亡命。社交界の華として賛美され、“東洋の真珠“と称される。 |
1980年〜 |
パリからインドネシアに戻り、実業家として石油、ガスの分野でプラントを設立するなど、各事業を展開。 |
1991年 |
ニューヨークへ移住。 |
UNEP(国連環境計画)傘下のアスペン市にある“The Earth Voices”のための募金やイヌイットやアジア先住民及びアメリカン・インディアンの権利と生活の促進に必要な種々の援助を行う他、手がけた野生の動物等の水彩画37点を1993年、慈善オークションに出品、$100,000を国連に寄付する。
この他、イタリーのイブラ音楽財団の会長として、毎年、コンサート・ピアニストとオペラ歌手コンクールの優勝者達に奨学金を与え、カーネギーホール、スタンウェイ、国連ホールにてコンサートを開いている。
日本でも数々のテレビ番組に出演。全国各地で国際的視野の形成、人生観の確立等をテーマに講演を行うなど、多岐にわたり活躍。
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